2011年11月23日水曜日

沼津駅北周辺の地下壕について調べてみた

2013/12/04 旧ブログから引っ越した記事です。


さて、先日ちょっくらお邪魔したJCの観光策定プランのディスカッションの時に

「沼津駅の北に第2次世界大戦時に作ったかなり大規模の地下壕があってそこでイベントが出来ないか?」

という話が出てきた。

全然知らない話だったが、同じグループにいた某社の取締役の方が

「会社で持ってる駐車場に使ってる敷地内に地下に下る穴があって、普段は蓋をして封鎖してあるけど、昔戦時中の地下壕だったと聞いている」

と話されていた。


駅北ぐらいから広がってるという最初に発言した某社社長さんの話も合わせると、どうやら、

沼津駅北口周辺からフジクラまでの範囲で地下壕が広がってる

らしい。。


まったくの初耳だし規模としてはかなり大きい。

そこで暇を持て余したサラリーマンはこれをちょっくら調べてみる事にした。
(今はこんなに長くなるなんて、、と少し後悔しています。。(~_~;))


『沼津』
読んで字のごとく『』地の広がる『(港がある事に由来する地名らしい』

沼だったり海近くだったりで、やはり地盤がゆるい。

静岡県の防災GIS情報で液状化を調べると一目瞭然。

至る所が赤かオレンジ

しかも先ほどふれた「駅北口からフジクラ」までが圧倒的に液状化危険地域だ。
こんな所掘って頑丈な地盤にたどり着いたのかがとても気になる所だけど、

まずこの情報で地下壕の存在に『?』マークがついた。

この調査は頓挫するかも知れないな。と思いながらまずはネットであれこれ検索。

まず戦時中の施設についてを検索検索!!
一番ヒットするのは沼津のある軍事施設について記述。

一番メジャーかと思われる『海軍技術研究所音響研究部』
多比や口野の辺り石切場跡を利用した施設。
国道414号線を通ると一部の跡地が見えますね。

ただ、こちらは駅周辺には関係ないので面白いですがスルーしましょう。

調べていて、こちらのページが面白かったのでご案内します。
→ 伊豆探索 伊豆の隧道・旧道・廃道・山道・林道
→ slycrowさん 沼津-海軍技術研究所音響研究部


そこで大本命!!
駅の北側で軍事施設と言えば
『沼津海軍工廠』です。



確かに大規模!!

そしてこの南西部のあたりが現フジクラの箇所っぽい。

今までの話から想定するに、この辺りから駅方面へ地下壕が存在するはず。


そう考え、海軍工廠について調べてみる事にした。

ネットで調べてはみたモノの、地下施設に関する記述はほとんど見あたらない。
唯一あったのは、
沼津大空襲時、海軍工廠で作業をされていた方がサイレンがなった時に、地下工場に上官と一緒に逃げ込んだ、という記述のみ。工場内の防空壕って事でしょうか?

これだけではその規模も場所もわからず。。

ネットでの調べに限界を感じ、実家に『沼津市史』があった事を思い出し、それを借りて調べてみる事に。

沼津市史とは平たく言えば沼津の歴史が記述してある本。
詳細は、沼津市教育委員会、市史編さんのページをご覧下さい。


実は沼津市史を初めて見ました。


これが結構面白いもので、関東大震災時の沼津の様子やら工場誘致の話、近隣村との合併時のあれこれ等、関係ないところで時間をくってしまいました(^_^;

沼津が気になる方、是非近代2辺りを読む事をお奨めします!!図書館でかりる事が出来るのではないでしょうか?


沼津市史近代2の戦争の項目をひたすら読んだのですが、
やはり地下壕に関しての記述はありませんでした。
言っておくとこれを読んでいくのに一日かかりました。



もう引くに引けない感じがしてきて、建設に関しての書類くらい図書館にあるんじゃないか?と思い立ち、図書館にて『沼津海軍工廠建設計画要領書 昭和17年 』なる本を発見。

しかしこちらにも記載されておらず。
まあ、昭和17年の初期建設時の書類なので、その後の戦乱の中、
少しずつではあろうが避難のための地下壕ぐらい作られて当然。


やはりこれでも結論には至りませんでした。


諦めきれずに自前のネットワークを利用してあちこち発信してみた所、

先輩の建築士さんから
気になったので、地質調査会社の方に聞いてみたけど、知らないそうです。もしそんな穴があったなら、沼津の建設課や教育委員会から、指導や通達がくるはずだ。と言う事です。沼津市や地質調査会社が知らないとなると、線路敷に沿って存在しているかも知れませんね。
だそうです。ここまで動いていただいて感謝感謝ですm(_ _)m。
そうなると、海軍工廠の地図の最南端がちょうど線路にあたりますね。この辺りが怪しいのか…?


ただ、ここで始めの方に出てきた、ある会社の取締役さんの話を思い出したのですが、確か、
『のぼり道のガードから少し北へ進んだところにその入り口のある土地を持ってる』って話だったはず。
そうすると線路からは離れているって事だよな~。。

もやもやし始めると他の方からも連絡が、、

祖父から詳細な場所はわからないが、駅北から少し離れた場所に防空壕があったと聞いている。

との事。
こちらも確証では無いので、参考にさせていただきました。

もう、本当にあるんだかないんだかわからなくなってきた所で、



新たな道を発見!!

『特殊地下壕対策事業』なる国の事業が!!

1)特殊地下壕対策事業とは
 特殊地下壕対策事業は、戦時中に造られた防空壕等の特殊地下壕のうち、危険度が高いものについて、埋戻し等の対策や、 都市施設の災害復旧に伴う防空壕の埋戻し、防災処理等を行う事業です。

なるほど。
地下壕もかなり劣化してきているし、危険予知として事業化されているのね?と適当な解釈をしつつ、こちらも調べてみることに。。
この辺りから、ブログじゃなくてホームページにしたほうがいいんじゃないのか?と思い始めてました。。

そんなこんなで調べていきます。
静岡県の調査結果が報告されています。

これを見ると、No.2220300200
こちらがフジクラ辺りを示しているように見受けられます!!

いよいよゴールが近いのか!!

№2220300200を表から確認すると、

四角の中に三角のマーク!!

このマークの意味は??


不明
不明
不明ですってよ、お父さーん!!
ィヤッホーーイィッッ!!!

長らくお付き合いいただいた方、大変申し訳ございませんが、

この調査、現状では不明とさせていただきたいと存じます。

万が一、特殊地下壕対策事業の方で見ていただいた方がいらっしゃったら、ご連絡をいただければ土地所有者へのアポを取らせていただきます。

ここまでやってこれで終了とはしたくはありません!!

引き続き情報あればオーナー宛に連絡頂けると幸いです!!

悔しいので、続くーー!!

1 件のコメント :

  1. 貴殿の地下壕調査についてを興味深く拝見させて頂きました
    その文中に次の文言がありました
    「沼津大空襲時、海軍工廠で作業をされていた方がサイレンがなった時に、地下工場に上官と一緒に逃げ込んだ、という記述のみ。工場内の防空壕って事でしょうか?」

    参考になるか分かりませんが次の様な名刺があります (昭和30年頃と思われます)

    表 割烹旅館しろき 沼津市西高澤204(旧 三井精機地下工場跡)
    裏 地下浴場・ネオン風呂

    地下浴場というのも、普通の旅館が掘るとも思えませんので、地下工場に有った風呂を活用?
    住所は区画整理等で変わっていますが、高澤公園南側です。
    また 軍需工場地図によっても三井精機の工場用地と合致しています。
    以上  K.M

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