先週、先々週の大雪は静岡県東部の北の方はたいへんな事になりましたね。
そこでネットでチラチラみた話題で気になったことがあったので書き綴ってみます。
報道されない
孤立した地域などもみられた今回の雪害。twitterではこの被害が報道されない!オリンピックばかりやってないで被害を報道して欲しい!という意見を散見しました。
報道ってなんだろう?
さて、報道されない理由ってなんでしょうか?政府の情報操作?そんなことして何になるんでしょうか?(陰謀論者の真っ先に結論を出す姿勢は事実を藪にいれてしまうような印象をもつのでやめたほうがいいと思うのですが)
本当に報道されなかったのでしょうか?
ニュースが流れるまで
普段ニュースを見て流れてくる情報は、
・何かが起きる
・記者による取材
・取材に基づき記事をつくる
・チェックが入り報道になる
最低これくらいのプロセスを踏むわけですよね。
正しい情報をどう流す
ネットに流れてる確実性のない情報を垂れ流すことは難しいですよね。
「こんな状況だから助けて」という当事者。
当事者の情報を我が事のように流す善意の第三者。
善意から生まれる現象も、これを悪用する人もいるかもしれない。
第三者が関わるってこれだけでももしかしたら情報の入れ違いが生まれるかもしれないですよね?
しかも、「こんな状況だから助けて」だけの情報を掴んだところで災害対策にあたっている人がどこをどう動いたらいいのでしょうか?
国、行政が動かない
まず先んじて国と地方が動いてるはずでしょう。
ですが当地の公務員が週末で家にいたら動こうとしても身動きがとれない。
泊まり込み等いるかと思いますが、担当職員以外の対応できる人数が限られる。
その少人数で対応に追われる中鳴り止まない電話とかを想像してみてくださいよ。
その苦労はどれほどか、と。
残念だったこと
すべきであったことといえば危機管理を担当する大臣なり官房長官が早めにカメラの前でいつものつなぎで表れて対応していると話すべきでした。安心を国民に示すのも政府のすべきことです。そこは抜かったですね。実際は何も出来てなくでも(^_^;)印象は変る。
テンプラ騎士団なる言葉はどうなれ生まれたでしょうが^_^;
とにかく週末にも「情報収集し全力で対策をとっている」と会見をすべきでしたね。
報道に戻ります
報道となると、記者なりジャーナリストが現地に入り情報をまとめ、報道局がまとめた情報としてリリースされる。
そこで初めて『報道』となる。
記者クラブがなんだーメディアは牛耳られてるだなんだーもほどほどに報道とは中立性のあるなし云々もあるが、
より正しくあろうとするもの。
偏向報道だからうんちゃらかんちゃらな人達の主張と、
『より正しくあろうとする報道に携わる方々の想い』ってのは合致するのではないでしょうか?
エビデンスを含めて必要な情報とは何かを考えると、あいまいな情報は流せない。だからニュースでの報道が遅くなるのは仕方がないことではないでしょうか?
こういう事があって次に生かされていく為に対策を練る事を後押しするのが私達の役目でもあるかと思います。
ジャーナリズムがあるからこそ
書いているうちにあるジャーナリストの言葉を思い出しました。
戦場ジャーナリストが亡くなった事件の時に目にする言葉
「なぜあんなに危ない所にあの人は行ったのか?」
これです。
これに対してそのジャーナリストがおっしゃった言葉を今でも忘れません。
「では、なぜ『あんなに危ない所』とあなた知っているのでしょうか?」
取材する人がいなければ本当に危ないのか、どの程度危ないのかってことすらわからないんです。
前述したエビデンスを考慮すると一般市民の情報でその判断は難しい。
でも、それでも伝える事を自分の役目として危険な場所に立つ人もいる。
正確な情報を伝えるために。
そして危険な目に遭いながらも情報を流してくれるから我々がお茶の間でボーっとしてても知れることもある。
残念ながら、報道のために亡くなってしまう人も。。
私達が目にする情報はみな同じようにみえても、そういう努力や犠牲の上にあるものかもしれないんです。
だから簡単に「報道されない!!」とかいうのが
僕は単純に嫌なんだろうな、と思います。
また「こんなだから助けて」って書く人も、具体的にどこがどのような状況で、どのような助けが必要か、どのような支援をどの程度の規模で求めているのか?くらいは書くべきだし、このやり方をリテラシーとして身につけておくべきだと思います。そして危険度などの情報収集が難しいなら素人はやるべきじゃないとも思います。
曖昧な情報に踊らされて、ヘタするとデマゴーグの一員になるだけかもしれないですしね。
報道されないではなくて報道できなかった
のが今回の報道の遅れの事実ではないでしょうか?
ネットの情報活用は
ネットの活用の仕方を提示するコメントをあまり見なかった気がしますが、もちろんそれだけ情報が溢れているならばそれをどう利活用するかの社会実験を試みる時期なのかもしれないですね。
佐久市長が活用された事例から学ぶことは多いかと思います。
(1/2) ツイッターで集めた写真から状況確認して指示 大雪被害、佐久市長の活用法に称賛の声 : J-CASTニュース
報道を知る
とにかく
今回学ぶべきは、報道の限界を知る。
そこで自らが本当にすべきが何なのか考える機会にもなったのではないでしょうか?
最後になぜかこれも書いてる途中に思い出した
2011年3月15日 - 物は言いよう
爆笑問題太田光氏の東日本大震災後のラジオ休止のお知らせで言っていた事を最後に。
太田:節電に協力して、真っ暗にして、暖房も床暖房も切ってね、テレビとパソコンだけでとりあえず情報、あと毛布にくるまって1日過ごしましたけどね。黙考というかね、そのことをずーっと1人で「あ~あ何にも出来ねぇな」って考えてることも、またそれはそれでその時出来ることなんじゃないかなって俺は思ったりして。